沿 革
明治27年9月 | 創業者竹内孫太郎が高崎市常盤町15番地において営業を始める。(主に葬具一式・柩の製造販売) |
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昭和2年10月 | 店舗社屋を高崎市本町89番地に移転する。 |
昭和9年4月 | 霊柩自動車を県内他社に先駆け実施、導入する。 |
昭和10年4月 | 竹内孫太郎が合資会社武内葬儀社として法人化する。 |
昭和10年8月 | 竹内幸一が二代目代表社員に就任 |
昭和16年2月 | 六大都市霊柩自動車連絡協議会常任理事となる。 |
昭和21年4月 | このころより福祉葬特別無料制度を実施する。 |
昭和27年4月 | 一般貨物(霊柩)自動車運送業として認可を受ける。(それ以前は高崎警察署への届出制) |
昭和38年10月 | 竹内幸一 群馬県霊柩自動車輸送組合を設立する発起人となり、「群馬県霊柩自動車輸送組合」(全霊協群馬県支部の前身)の初代組合長となる。 |
昭和47年10月 | 竹内幸一が会長に就任、竹内成幸が三代目代表社員に就任。本社改築。 |
昭和50年4月 | 「全国霊柩自動車協会」が社団法人として認可される。社団法人全国霊柩自動車協会群馬県支部となる。 |
昭和51年4月 | 県内他社に先駆け無料会員制度「高砂会」を発足する。(豊岡支部・大類支部・落合支部の発足) |
昭和52年6月 | 竹内幸一 運輸大臣より業界功労者として表彰状を受ける。 |
昭和56年4月 | 竹内幸一 勲五等瑞宝章を授与される。本社増改築を行う。 |
昭和60年8月 | 日航ジャンボ機墜落事故において、ボランティア活動で参加。 |
昭和61年4月 | 竹内成幸 社団法人全国霊柩自動車協会群馬県支部長に就任。 |
平成2年9月 | 竹内秀夫が会長に就任、竹内功が四代目代表社員に就任。 |
平成3年4月 | 高崎市社会福祉協議会より表彰状を受ける。(福祉葬45年間継続実施) |
平成4年10月 | 緑町営業所開設 |
平成5年10月 | 新社屋完成。プリエッセ武内本町会館を開設する。 |
平成6年4月 | 竹内功 社団法人「群馬県葬祭霊柩事業協同組合」を設立。組合長に就任。 社団法人「全国霊柩自動車協会」群馬県支部長に就任。 |
平成7年1月 | 阪神・淡路大震災において特別搬送業務に従事 |
平成8年11月 | プリエッセ武内下之城会館を開設する。 |
平成11年4月 | 高砂会寺尾支部・根小屋支部設立(計市内11支部)。 |
平成11年7月 | 高崎市長より表彰状を受ける。(福祉葬50年間以上継続実施) |
平成14年1月 | 有限会社ラファエル設立 |
平成15年2月 | 高砂特別プランの提供を始める。 |
平成18年7月 | JA全農ぐんま、はぐくみ農業協同組合との提携に先立ち、新しい会員制度、「おおぞらメンバーズ」と「おおぞら特別プラン」を発足。高砂会と同じように、無料の会員と有料の会員制度とする。 |
平成18年11月 | 高崎市菅谷町に第3の会館「プリエッセアシストぐんま」完成。JA全農ぐんま、はぐくみ農業協同組合と提携開始。 |
平成18年12月 | はぐくみ農業協同組合が運営する、JAアシストホールみさとの経営権取得。それに伴い、JAアシストホールみさとが「プリエッセアシストみさと」に名称変更。 |
平成19年4月 | プリエッセ緑町営業所が高崎市問屋町へ移転。 問屋町プリエッセとして営業開始。 |
平成19年8月 | 合資会社武内葬儀社より株式会社プリエッセに社名変更。 プリエッセアシストぐんまにて第一回納涼祭を開催。 |
平成19年9月 | 問屋町プリエッセに仏壇ギャラリーがオープン。 |
平成23年3月 | プリエッセアシストとよおかオープン 東日本大震災において被災者の受け入れを行う |
平成23年9月 | プリエッセ葬儀無料相談センターが本町本社に開設 無料相談内容 葬儀アレンジメント、葬儀事前相談、法事・法要、仏壇・仏具メインテナンス、墓地・墓石・霊園、遺品整理、お引物・贈答品、遺言・相続、各種ご供養、生花・フラワーアレンジメント |
平成26年9月 | 竹内一普が代表取締役社長に就任 |
平成26年10月 | 創業120周年記念式典を挙行 |
平成28年4月 | 高崎新斎場指定管理者となる |
平成28年10月 | 竹内功会長、国土交通大臣より 業界功労者として表彰状を受ける |
平成31年4月 | 石原プリエッセ アルフィーネ オープン |
令和2年2月 | 本町プリエッセ アルフィーネ オープン |
令和3年11月 | ギフト部新設 |